感染予防設備として、大型高濃度プラズマクラスター発生装置3台で壁や床に付着した飛沫や空気を常時除菌、自動換気、さらに夏は除湿機3台、冬は加湿器3台で院内の温度と湿度をきちんと保ち院内感染を予防しています。

 医師の職業としての確立は、世界中さまざまな起源がありますが、共通することは古来での宗教と医療との密接な関係です。弘法大師が創設した真言密教では、病気治療のための法術や護摩焚きなどの秘術があります。江戸時代初期からの和漢医である当家は、水戸街道の 曲がり角(≒辻)、土浦城本丸の鬼門の方向に位置し、家紋は八幡宮や土浦八坂神社の神紋と同じ左三つ巴となっています。
 当院には、元禄10年(1697年)や享保5年(1720年)の処方の記録が残されています。当主は号を三郎右衛門(さぶろうえもん)と名乗り、家業である医業が認められ土屋家土浦藩より文政2年(1819年)に帯刀を許され、文政10年(1827年)に土浦藩(9万5千石)の藩医(侍医)になります。当家は土浦城の北端、水戸街道の北出入り口である北門(真鍋口)傍の城内に立地。そして、土浦城の南端、水戸街道の南出入り口である南門(高津口)傍の城内の当家菩提寺の東光寺の山号は医王山となっています。土浦宿は、土浦城の北門と南門の中にあり、武家と町方が一緒に城の中に入っている総構えの城下町であり、当家とその菩提寺は土浦宿の南北両端に位置しています。
 当家中興の祖の辻元順(1803年~1880年)は、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた華岡青洲(はなおかせいしゅう)に学び、土浦藩の御殿医になりますが、他の藩医と違い貴賤を問わず命を脅かした疫病に対して武家だけでなく町方の病家の診察もおこなっていました。当家は、初代から現在に至るまで、三百有余年、場所を変えずに医業を子孫に受け継ぎ、地域の医療を守っています。
 

 


当院は、土浦旧市街にあり土浦駅から徒歩で15分程の距離です。自家用車で来院される方の利便を考え、道路からの入り口を2ヵ所、また敷地内に14台の駐車場を確保しています。高齢者・身体障害者が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(ハートビル法)に準拠した車椅子対応のバリアフリー設計となっています。

休診日は、土曜祝日で週末(日曜日午前)も診療をおこなっております。

 

 

診察室を2つ設け、血液化学分析・血球計数・血糖・ヘモグロビンA1C・尿検査などは院内でも実施しており、約15分程で結果がでます。糖尿病の患者さんには受付後に検尿・採血を行い、尿糖・血糖・ヘモグロビンA1Cより現時点での血糖コントロールを把握し、当日の治療に結び付けております。

 

 


待合室からは、小さい日本庭園を観ることができます。
診察室は、バリアフリーで引き戸を閉じるとプライバシーが確保できる構造となっています。

 

 

院長は、土浦協同病院、霞ヶ浦医療センター、東京医科大学茨城医療センター、つくばメディカルセンターの登録医となっており、それらの病院主催の学術研修会や医師会の勉強会に積極的に参加し臨床技術の鍛練に励みつづけております。またこれらの病院のCT・MRI・シンチグラム検査などの共同利用、それら検査結果の当院外来でのご説明、適切な専門医への紹介および外来予約の手続、入院が必要なときの迅速なご紹介などをおこなっております。

 


患者個人に関する知識として、過去の病歴やアレルギーなどの医学情報をはじめ、患者の社会的背景、性格、嗜好、患者の家族、職場環境、居住地の特性など、患者および患者周囲の情報の把握に努めています。