辻家の中興の祖

辻元順は享和3年(1803)に生まれ土浦藩医辻家の養子となり、諱は安正と称した。
紀州和歌山藩医華岡青洲の門に入り、オランダ流外科を学び、遂に塾頭に抜擢された。

天保6年(1835)郷里に帰り医療に当った。患者は門前にあふれ、門生もまた数百名におよび、華岡流の全身麻酔による外科手術で、名声を高めた。土浦藩主土屋寅直は、これを賞し、食禄50人扶持を加えて侍医とした。明治13年(1880)78歳をもって没した。土浦における近代医学の創始者の一人であり、土浦市大手町の東光寺にある辻元順の墓は市指定文化財に指定されている。

 

茶道石州流

四代将軍徳川家綱から幕末までの二百有余年「茶は石州、剣は柳生、絵は狩野」とうたわれていました。

       


当院に伝わる江戸時代の漢方処方

 

麦門冬湯(ばくもんどうとう)

現在でも咳を鎮める薬として使用されています。

       
土浦藩医辻元順所用紺糸威二枚胴具足(安政三年)

土浦藩医辻家伝来、辻元順・玄喜親子所用の具足である。
兜は鉄錆地三十二間兜鉢に饅頭𩊱、前立は辻家の三つ巴紋と天衝である。

具足には「土浦 辻玄喜」の木札が付属するほか「安政三年乙辰正月 亀城侍医辻元順源安止(花押)」の黒書がある包み布がある。さらに、威を直した形跡があることや、辻家に伝わる具足が一領のみであることから、元順所用であった具足を元喜に合うように直したものであると考えられる。